そぼくなままあくびをしてる

アダルトチルドレンの輪廻転生記

自分のための日記 2.11

わたしは繊細すぎて弱いけれど

わたしの魂は頑固者で強い。表層は死にそうなのに、なかなか死なない。

相反するふたりを抱えて生きるのは大変だけれど、わたしは器として、このふたりを抱えて生きてる。ふたりはよく喧嘩し、わたしを青ざめさせる。

 

きのうは雪が降った。よく積もった。夜になってコンビニに行った。ぬいぐるみが届いた。HOPEという名前だった。その子を見ていると、なにかを信じる心持ちをかんじるんだ。

 

ギターがメルカリで売れた。75000円。自分にはちいさくて軽いギターが合う。ちょっと音がとんでるくらいが、わたしらしいと思った。でもわたしは憧れるモノになろうとして、43万もムリしてあの時買った。

 

6年ほど経ったわたしはそのギターの自分にはならなかった。成金みたいな。わたしは今でもチープなままだった。あの頃と変わらなかった。頑固者の魂だから、変われなかった。

 

何かになろうとしたって、心は失う。なれたとしても、苦しさは残る。ありのままでいることでヒトは楽でいられる。無理をしない。

 

 

 

少しずつ3年間わたしの心をころしてきた左半身の不調がさいきん解けてきた。ほらネ。この子はさいしょからわたしが無理をしてきたことがカラダに出てきただけ。自分じゃないなにかになろうとするとかそんな考えもうやめるんだ。わたしの心が変わってきて、この子も変わってきた。それだけ。

わたしの心がカラダを、苦しくさせてしまってただけ。さいしょから不思議だった、この不調が。魔法みたいなモノだってかんじていたんだ。

 

ギターを手放してホッとしてる。きっとそれも自分じゃないからだね。本棚を見て、わたしがいらない本で溢れてることにも気づいたよ。誰かのオススメなんか、わたし、いらなかった。そこにわたしはいなかった。自然と手を伸ばしていたモノにいつも、わたしはいた。それだけで良かった。

でもヒトは情報に錯乱させられるこの世の中で自分を見つけられなくなってるんだよな。

 

憧れを捨てるんだ。

 

憧れは結局世の中が作り出した具像。そこにわたしや貴方はいない。(いるヒトももちろんいるけど)息ができる場所に出ていくんだ。

 

 

ネットやお店で物を眺めて自分をさがして生きているけど、自分をさがすには自然のなかに入ったり、スマホを置いて雑念がきえるまでボーッとして見るのがいちばんだね。お風呂にはいったり、髪を切りに行ったりするのもいいとおもう。

自分を、心をみつけると、

ヒトはそのときやっと安心する。なにか無性にザワザワしていた不安感が消える。

 

これは星の王子さまにもフワッと書いてあったことで、すべてはそれでしかないんだよな。それ以外にたいせつなことなんてないんだよ。

 

本を手に取って感じたときに、この中に自分が大きくいる、そう感じたら手に入れたほうがいい。それでも自分が本当に大きくいるのは、目を瞑ってボーッとしたときの心の中だ。

 

 

わかっていく。わかっていく。

もう大体わかってきた。なにを無視しちゃいけないか、なにをたいせつにするべきか。

 

心の底のあらゆる閉まっていた扉がバタバタバタバタと開いて風通しがよくなる、

息ができるようになっていく。

 

もう迷わないようなきがする。その感覚は今、わたしにしかわからなくてザンネン。

2.9

星の王子さまだいすき

星の王子さまだいすき

星の王子さまだいすき

なんだこの改行 プンプン

POPEYE読んでたらアタマがやわらかくふにゃふにゃしてきた。POPEYEの世界は思い描くものに近い。

 

家に置いてあるチョコがなくなりそう。今夜はジンジン冷えるくらい寒いです。久しぶりにお香を焚きました。あと久しぶりにお花も一輪買ったらとっても満たされてる。この部屋のなかで今このお花がいちばん偉い。すべての気を浄化してくれてる。かわいいピンク色。

 

自分のすきなモノを知ってからほんとにラクになったなァ。お金をつかってあげるべき方向も見えて不安がなくなった。自分をたいせつにできてないヒトは、自分を知らない。すきなモノ。トモダチを知るみたいに知ってあげると、もっとなかよくなる。昨年までの日記とか読み終えた。あと星の王子さま。日記には本を読みたいがたくさん書いてあった。サリンジャーの映画また観よ〜。

 

わたしは重いギターやだ!ということがわかったのでちいさなギターを買おうかなとおもった。40万くらいで買ったやつ今もってるやつは売るかな!あの頃は、わたしの望みをよく知らなかった。それ売れたらGREGORYの超超超かわいいリュックもほしい。

 

絵を描いたり写真を撮ったり、自然のなかをあるいて、わたし今しあわせ。ぬいぐるみも買っちゃったりね

 

小沢健二にハマりそう。なんとなく。久しぶりに一曲聴いた瞬間にそうかんじた。あとゴイステ聴いた!!!純粋でサイコー。

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f:id:lolitaism:20230210002722j:imageこの髪型にしたい

2.6

むかしの日記などをいろいろ読み返してる。

大変感銘を受けたバシャールの本も。今読むと改めて今のわたしが自分自身で、たいせつなのはコレだったのか、と感じたことばかり書いてある。でも初めて読んだときは「なんか、、スゴい!たぶんホンモノ、、!たぶん一番大切なこと!」みたいな、感覚的にしかわからなかったんだよ。

 

昔のわたしはスゴいな。スゴい。

感覚的に、すべて感じてわかっていた。それを頭で押し潰してきた。でも、きっと、ここまで苦難を乗り越えながら答えをさがし歩く過程が大事だったきがする。貴方はスゴいよ。敵わない。いつも教えてくれるのは、心の中の純粋でハチャメチャな子であって、

模範的教育係みたいなアナタじゃなかった。

 

 

きょうはね、もう3年ぐらい思ってたかもしれない念願のホットヨガに行ってきました。行ってみてわかったことがある。ずっとホットヨガは行きたかったのに、なぜか心が向かない。行きたくない。辞めたい。そうおもっていたワケ。

 

それはおそらくそこがお金のニオイをプンプンさせているってわかってたからなんだろうなーって。あと、交流がない殺伐とした雰囲気。わたしが常に求める人間のあたたかさがそこに無いかんじ。だからきっと、もっと雰囲気のいいホットヨガだったら気兼ねなかったのかもしれない。だから余計に体験に行ったら入会しなくちゃいけないんじゃないか、って心の中に抑圧があったんだと思った。

 

 

サッパリしてカラダをぽかぽかさせたわたしは、ホットヨガ体験ちゃんと行った祝いでサイゼリヤに行きました。

そこでもわかったことがある。わたしは安くて量をとってサイゼリヤを選んでしまったけど、わたしは新鮮なレストランで質素なモノを食べるほうが心が満足するんだ、と知った。

わたしは、わたしを知らないね。

花粉症でなのかやっぱり体調わるくてサッサと帰ってパジャマに着替えた。

 

褒め言葉はさ〝えらいね〟とか〝ちゃんとできたね〟より〝かっこいいね〟とか〝ステキだね〟のほうがいい気がした。

 

 

今月誕生日だから、先月買っていた壁のかざりをかざった。わたしは嬉しくて泣いちゃいそうになった。自分にたいせつにされたことが、嬉しかった。わたしがわたしの誕生日を心からよろこべる感覚がもどってきたこと、なつかしくてあったかかった。産まれてきてくれてありがとうしほちゃん!

大事なヒトの誕生日、わたしは無下にしないで祝ってあげよう、とそう思ったよ。

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2.5

気づきを得てばかりの毎日。ぼーっとできるようになった。特に、雲を見つめているとどこでもぼーっとしやすい。木々や車より、雲。

水筒にコーヒーをいれて、ジップロックにお菓子をいれて、本やノートを持って公園に行くのがマイブーム。午前中に起きてお日様にめいいっぱいあたる。通り過ぎる犬の絵を描く。

 

先日はその公園から通じる丘に登った。丘というか山。草なんかとたくさんしゃべった。覚えてる?って。

 

 

今日は自転車がパンクしてた。こないだは前輪、今回は後輪。タイヤを変えなくちゃ。

ブックオフで頼んでいた本を受け取って、その他欲しかった本も買った。それから近くのスーパーMomに行った。わたしはやっぱりこのスーパーの空気が好きだと思った。そしてそんなことを感じることを自分自身を再度自覚した。食べ物が楽しそうなスーパーはいいスーパー。特にお惣菜など。

 

そこで買ったミカンを食べて、カフェにコーヒーを飲みに行った。ノートにたくさんのことを書いて、涙がでてきた。

小さな頃好きだった物の記憶がなぜ残っているか。それは将来インナーチャイルドがわたし自身に〝忘れないで わたしのこと〟って伝えているからだと思った。インナーチャイルドが、心が、しがみついてその記憶を忘れないんだもの。心のことを、忘れちゃいけないんだ。

ふとしたときの親のセリフ。本の言葉。忘れられないアニメ。ぜんぶ心が、魂がわたしに訴えるために忘れてないんだと、いろんなことが繋がっていった。

 

あれもこれも、ただ忘れられないワケじゃなかったんだと思う。

 

ヒトは確実に、社会に迎合する中で魂が求めることを忘れる。確実に。

心を抑圧していると、魂は輝きを失い、疲弊してく。そうやってずっと、なんだかよく分からない疲れを感じ生きていくのだと思う。だから、

自分勝手でも、傷ついてでも、わたしたちが〝したい〟キモチを己の弱さで潰しちゃいけないんだと思う。わたしはここ数日ずっと、そんなことが頭のなかで鐘を鳴らされるように、ガンガンと打ち鳴らされている。

 

ぜんぶ忘れていたから。わたしは社会に出て、ぜんぶ社会に心を傾けてしまってた。

だからもう決して迎合しないと心に決めた。わがままお姫様。もう。この子を縛りつけない。楽しいことしかしない。一生子どもでいる。

 

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親友に勧めてもらってずっと気になっていた〝いちご〟楽しみだな。

 

 

好きなものを選択する心

 

(1日で気づいたことを要所要所でまとめただけだから文章としてきれいにはまとまってない。)

 

じぶんの 好きなものを知りたくて、

セカンドストリートで、惹かれるモノだけを集めて試着してみると、完全にアメコミ感があった。単体で身につけてるとなんか違かったのに、一緒くたにしてみるとまとまった。

ひとつの個性になった。

 

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きれいなものに憧れはあるけれど、やさぐれてたり枯れていたり褪せているような〝欠落〟しているモノに魅力をかんじる。
それがわたしなんだろうな。
汚れていてもそれでもちゃんと生きてる美しさ。(選んでしまう服たちは破れていたり色褪せていた)

 

世間を見渡しても親友を見ていても、清潔感があり綺麗なものが美しく、それが成熟さなんだといつしか教わり、そう脳に植え付け心の価値観を抑えつけていた。そうして傷ついた心は水面下で親友を敵とみなしていたのか?ただわたし自身がじぶんに自信を持てないだけだったのに。

私の心が求めていた美しさは世間が良しとする、そこには無かった。人の温もりであたたかく汚れた美しさを私の心は求め、愛していたんだろう。

 

値段じゃなく、見た目じゃない。子どもが拾った木の枝に名前を与え生を宿らせるみたいに感じたインスピレーションでうまれる愛着みたいに、わたしの心は服を選びたかったようだ。

 

わたしはわたしの心が抱くその愛着を、

そういうモノに魅力を感じる価値観を、
信じずに、否定し、無下にしていた。

 

さいきん、10代のときのように写真を撮り、アートが心に入ってくる。わたしはいつの間にか社会大人だからとかそんな基準を元に、20代を迎えた頃から心をたくさん殺してしまっていたのかもしれない。その仇が2019年にきて急に全てがワーっと苦しくなって社会から逃亡したのかもしれない。

 

歳を重ねるにつれて社会的に美しい方に価値を感じたがるようになっていた自分や、男性の気を惹けるファッションを選ばなくちゃと選択を狭める自分、変なものを好きなヒトを避けたがる自分が生まれていた。

〝価値観が変な人間は愛されない、

変な人間は集団から外される〟

 

そうした価値を正義にしたのは生存本能でもあって、経験から強い思い込みが生まれ、

変なものを好きな自分を抑え込んでいた。

でも私は私なのだ。それを認めてあげる。それがいいんだよ。

そういう貴方だから、魅力的に映るんだよ。

 

 

心の欲望というのはいつも思い付きのように突然で、それを聞く度、頭というのは「もっと計画的にお金を使わなきゃ」だとか「それを良いと思う理由が無いなら買わない方がいい」とかそんなふうに直観的な心を抑圧していたんだな。抑圧し過ぎた。揺れやすい弱いわたしのせいで、この子を長らく独りにさせてしまった。

 

すこし個性的な自身の見た目を嫌っていた。フツーの服が似合わず、世間一般的な魅力を出せない原因に思っていたから。でも、わたしはわたしの好きなモノがいちばん生かせる素材を最大限に持っているように思える。そんな気がする。痩せないこの体型も、むしろなんだか、今のわたしにはとても愛しい。(こないだ男の子が大きなお尻を褒めてくれたチカラもある。ありがとう。)

 

この中から上着はわりと使えそうなので試しに買ってみた。(50パーオフで390円。世の中からは価値が無いようだ)自分に買ったはずなのに、家に着いたとたん、まるで誰かにお土産でも買ってきたような気持ちで大切なものにかんじた。

 

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1.31

自分の直感や感覚を酷くむししてきたと思った。理由のない直感や感覚を信じるのが怖かったんだろう。信じられるだけの自分がそこに存在しなかった。

 

もう二月にはいります。

二月はわたしの誕生日があります。わたしは百均で買った装飾品で部屋を飾りつけることにします。誰かおめでとうと言ってくれるヒトがいるでしょうか?わたしがいます。

 

今朝は早起きしました。暖房をつけたのでわりと早めに布団から出れ、朝食を摂りねむくなりましたが、洗濯をし、掃除もできました。さいきん掃除をしたい!と思います。お風呂も入りたい!と思います。そしてわたしはそれを、なるべく叶えてあげようとしています。

自分と向き合って考え方を変化させたことで、様々なことを心の奥の栓が抜けたように気づき変化していく毎日です。まさに解像度が良くなって物の見え方が変わった、そんな感覚です。

読んだ本を読んでも以前とは感覚がちがうため、こんな大切なことを言っていたのか!と発見だらけです。感じるモノのなにを信じればいいのか、いろんなモノに邪魔されても見えるように練習していきたいです。

 

〝生きづらさ〟〝苦しさ〟って、自分を押し殺して生きることにあるんだとおもった。そして世間的に変なヤツになってでも、なるべく押し殺さない生き方を選ばなきゃいけないんだとおもった。社会だから、オトナだから、そんな言葉に不信感を抱くなら、そんな自分を信じて自分の道を生きなくちゃとおもった。

 

宅建の教科書を取り出した。たぶん勉強しだしそうです。

 

 

 

1.30

早朝に寝て、昼に起きた。

ゆりのここ楽レッスンというYouTubeをいくつか視聴した。心と向き合いながら知識を取り組むことで心の内がどんどん変わっていってる感覚があります。

 

カラダが重くてすこし自分を放置してしまった。夕方、久しぶりにまだ明るいうちに外に出た。食事をきちんと摂っていないからか?歩きながら手が震えるような感覚があった。ろくに外出てないからカラダが重かったです。3900歩くらいで結構しんどかったです。帰ってねこぢる大全をひらく。

きちんと自分の心に応えてないせいか、今は思考がブラック気味になってます。もしくはしぽんぬが顔出すようになってきて過去の膿出しモードになってるのかな?と思いました。色々思い出して「4ね!!」みたいなキモチになっています。たしかに感じるのは、アダルトチルドレンを克服し、常に不安ストレスモードから解放されたら人生がたのしく感じられ挑戦にも前向きになるだろうなと思いました。

そんな胎動のようなモノを今日かんじた。

 

・今日久しぶりにドキドキするオモシロイひとをネットでみつけた(この感覚なつかしい)

よつばと!読んでみたい

ムーミンのニンニの回読みたい

・ZOZOからクーポンで買ったコスメ届いた

・東電の節電プログラムのポイントが入ったから夕飯はシッカリ食べた

 

習字やお茶やヨガみたいなのが合うのかなァと思った。習い事。少なからず、お茶や習字の集中しながら五感を使う感覚は自分に合ってるきがしたのです。自分をよろこばせようとしないでいたら人生はあっという間に溶けて終わる。

 

 

追記:

こないだ観たザ・ノンフィクションの塙山キャバレーの回が胸に残ってる。寂しく貧しい、決して美しいとは言えないヒトたちが集まっているけれど、それぞれが繋がりを感じて支え合ってる。人間の本質の、原始的な純粋な生き方をそこに感じました。彼らの方がそういう意味では生の生き方というか、真っ当で美しく見えた。