
〝芸術は科学をはるかに凌駕する〟
芸術は意志だ
魂だ
(昨夜メモするように残した↑)
_____________

よかった!
ちしおちゃんに共感した。泣いた。
さいきんYouTubeのクレヨンしんちゃんのチャンネル観てからクレヨンしんちゃんにハマってる。
〝心がエリートだ!〟
中学生くらいの頃、キョロちゃんにハマっていたような記憶を思い出した。キョロちゃん観たい。ファンタジックで頭の中が溶けてくような作品だったと思う。人間は歳を重ねるにつれ魂の世界の感覚にもどっていくんだろうか。そうなれるヒトと、人間の世界のネガティブなモノや欲やらなんやらに足を引っ張られて歳を重ねるヒトもいる。
そんなきがする。
はやく透明になりたい。
人間でなくったっていい。わたしの日記帳がもし未来でただ一冊の物語としてこの世界に存在したとき、わたしはわたしの物語を書き上げたと言える。
あの時感じた〝わたしはわたしの物語を書かなきゃ死ねない〟その感覚に従えるね。
あの聖書をどうか本にしてくださいね。どなたか。アンネの日記よりずっとかがやく財宝の山です。心を持った言葉はかがやきを得るのです。
いつか夭折でもするのだろうか。いやいや、ナイチンゲールのように空をとぶのさ とはいえ、わたしは傷つきやすく弱い。今まで重ねた苦しみに更に傷を重ねたとき、耐えられるのなら。
わたしは今日も昼過ぎに起きて、食事をして、ベッドのうえで幼児向けアニメを観てすごしてた。洗濯はしたけれど。シンクには3日ほど溜まった洗い物が積み重なってる。曇ってはいるが日差しは強く、ベッドから気だるく手を伸ばし日焼けをしないよう窓をカーテンで覆う、すこし薄暗い部屋。
ご臨終かと思った石巻貝が2匹ほど存命なようで安心した。
今の子、令和育ちというのか?彼らは図太いというか。こんだけ世界であらゆる個性が容認されはじめているからか?自分たちの心に従うチカラをメディアから与えられてて羨ましいとおもう。昭和は一貫された社会人の在り方に縛られた時代だった。今はそんなヒトたちが上に立ち、下には真逆の価値観のような人々が存在してる。崩壊していく過程の時代。タノシミダナー
きのう夕方散歩にでた。そういえばわたしは自然に呼ばれて生きてる。それはきっと自然の声がきこえてるからか。それはいいとして、そんなことじゃなくて、散歩をしていて思ったのは、あらゆる場所が無機質化されていると改めて感じたことだった。
わたしは息がしにくくなってる、確実に。
それは外に出ない自分自身のせいでもあるけど、外を歩いていても、息が吸える自然豊かな場所が少ないんだよ。ただ町を散歩をしていても、足りない。
ダメなんだ。くんちゃんが新宿の緑の茂った場所にひとりでダダダッと入っていって、戻ってきたときに「満たされた…」そう呟いたあの感覚がなければ、わたしもいつまでも満たされない。
満たされない。
心の回復にはその感覚を重ねなきゃいけないって。。。 わかってる。
久しぶりにシッカリブログ綴ったら長文になった!グッバイ アミーゴ