きのうは誕生日だった。
ヴォルフガング·ティルマンスの写真展に行ったけれど、良かったなぁ。大きなポトスと陶器のてんとう虫を買った。このてんとう虫は、ふしぎなチカラをもってる!そんなきがする。
あとはエゴイストという映画を観たり、いちごのパフェをたべたり古着を見たりした。
帰って、じぶんに必要のない、
〝自分ではない〟本をどかどかダンボールに放り入れた。部屋には自分のほんとうの心を置くべきなんだとさいきん思う。ほんとうに欲しいモノは自分自身が宿っているから、ほんとうに欲しいモノを買って、それを部屋に置く。そうすれば部屋には雑念が消えシンプルに、掃除してなくても心がスッキリかんじるのだとわかった。
他人がいいと言ってたモノや、中途半パなキモチで買ったモノが増えるとどんどん部屋は散らかって心も散らかって、掃除してもしても、どこかよごれてる感覚がするんだ。
それは、感じるべきなんだ。家と会話して。
あたらしいキモチになりたくて、自分自身になりたくて!髪をベリーショートにしたし、緑にも染めた。
スヌーピーのぬいぐるみとGREGORYのリュックも届いた!!!!サイコーだった。やっぱりそこにはわたしがいた。あんだけ悩んでお金だして買ったんだもん。利用意図なんて無くても良いから、そこに〝自分〟を感じたら手に入れるんだ。
〝自分〟が部屋にたくさんいて、〝自分〟を身につけるだけで、心はたのしく喜ぶ。
わたしたちの心は自分になることを望んでる。
\( ♡〇♡ )/あやちゃんのこと ✼✼✼
わたしがガイドヘルパーしてたときのあやちゃんのことを思い出してた。
さいしょあの子とは関わりがうまくいかなかった。ワガママをみせたり、心を開いてくれない関わりが続いた。上司もポンコツで相談にのれないヒトばかりだったから、どうやって向き合えばあの子と正常に関わり合えるのか必死で孤独に模索した。
自分自身を見つめるなかでようやく気づいた。「ヘルパーのお姉さんのように社会の取り繕った顔ではなく、本来のわたし自身の顔でないと、きっとあの子はわたしを信用してくれない」
そんなきがして ありのままのわたしで、彼女がワガママ言えばちゃんと怒った。怒っちゃダメだ、、ではなく、怒った。心のわたしが嫌なキモチになるから。すると、ふしぎなことに彼女との仲はみるみるうちに変わって、すこし経つと彼女から抱きついてくるようになった。
今思うと、
あやちゃんはわたしの心そのものだった気がした。ウソをついて生きるわたしを彼女は救ってくれたきがした、あのとき。
だから今でもあやちゃんのことはどうしても忘れられないし、彼女の絵を額縁にいれて飾っている。あやちゃんだけは、仕事をやめたあともプライベートでお付き合いがつづいた。
そんなことに気がついて、本屋にむかってるあいだ涙がでそうになった。